【あれから、15年 地下鉄サリン事件】(2)続く葛藤 癒えぬ痛み(産経新聞)

 ■「さっちゃん、忘れちゃえば…」

 「あーっ」

 静寂が支配する最高裁第2小法廷に、くぐもった声が響き、法壇に並ぶ裁判官が一瞬、そちらに目をやった。

 昨年11月6日の上告審判決。地下鉄にサリンを散布したとして、1、2審で死刑とされた広瀬健一(45)の上告が棄却された。法廷で声を上げたのは浅川幸子(46)だった。

 幸子は、広瀬がサリンをまいた地下鉄丸ノ内線で被害に遭い、心肺停止状態で発見された。2人の救命士が蘇生(そせい)にあたったが、幸子は視力を失い、言語障害や手足のまひが残った。車いす生活を余儀なくされた。

 「宝くじより、低い確率だったかもしれません」

 兄の浅川一雄(50)は、あの日を振り返る。平成7年3月20日、幸子は新入社員研修のため、普段通う自宅近くの職場ではなく、丸ノ内線中野坂上駅に向かった。いつもなら家を出ることのない時間、乗ることのない地下鉄だった。一雄は2件目の営業先から病院に駆けつけ、さまざまな医療機器がつながれた妹に対面した。触れようとして、医師に止められた。

 それから9年近くたったころ、幸子は自宅に帰った。病院は施設を勧めたが、一雄は自宅で一緒に暮らすことを選んだ。幸子の部屋を増築し、スロープをつけた。食事どきにはヘルパーが訪れ、家族と同じ食事をフードプロセッサーにかけて、食べやすくする。

 一雄の家は音にあふれている。2匹の犬、「チロル」と「チョコレート」がほえ、幸子の部屋には大好きな藤井フミヤやチェッカーズの曲が流れる。「アッコさん」と呼ぶ和田アキ子や、マイケル・ジャクソンが最近、お気に入りに加わった。

 一雄はいう。「死刑囚は死ぬまで国の施設で生きられる。私たちに何かあったても、妹がケアを受けられる施設が必要です」

 「オウム、ばか」。幸子は法廷でそう叫んだのだという。「『さっちゃん、忘れちゃえば。怒りや悲しみだけでは寂しいでしょ』とも思いますが、あの日のことはやっぱり忘れられないでしょうね。私も妹も」。一雄の口調は穏やかだ。

 「井上君を自分の頭で考えられる人間に戻してやりたかった。申し訳ない」

 オウム真理教家族の会会長で、自身も教団にVXガスで襲撃され、死線をさまよった永岡弘行(71)は話す。永岡は、昨年12月10日に上告が棄却され、死刑が確定したオウム真理教元幹部の井上嘉浩(40)を「井上君」と呼ぶ。「幹部なんかではない」とも。

 「操り人形だった。マインドコントロールの影響とはいえ、人間とはこれほど弱いものかと思った」

 井上の公判の傍聴を重ね、証言台にも立った。接見や手紙のやりとりも続けてきた。井上から最後に手紙を受け取ったのは、昨年暮れ。《ごやっかいになりました》とあった。

 永岡の息子もかつて、教団の出家信者だった。息子を取り戻し、信者を脱会させるためなら、考えられるすべてのことをやると誓い、やってきた。「被告人席に座っているのが息子だったら…」。傍聴のたびにそう思っていたという。

 井上の上告を棄却した最高裁判決のあと、井上の両親と会い、手を握った。母親の手は、ただただ冷たく、「親御さんの思いが身に染みた」と話す。

 永岡は足を悪くし、つえに頼ることも増えた。VXの後遺症と指摘されることもある。「歩けなくなったら、オウムにカルマ(宿業)のせいだと思われる。耐えがたい」。そんな思いが永岡を支える。

 井上に返事は書けないでいる。「ごめんな、から始まっちゃうんだよな…」。永岡の目は、潤んでいた。(敬称、呼称略)

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